慶應義塾大学アート・センターアーカイヴ土方巽アーカイヴ土方巽について土方巽年譜

土方巽年譜

2004年8月2日修正 ・付加 構成:土方巽アーカイヴ 森下隆

1928(昭和3)年
3月9日

秋田県南秋田郡旭川村泉(現・秋田市保 戸野八丁)に生まれる。父・米山隆蔵、母・スガの11人兄弟の10人目(六男・ 戸籍上は五男)で九日生と名づけられる。生家はソバの製造販売とソバ屋を営む半農。

1942(昭和17)年 14歳
3月

秋田師範学校附属小学校高等部を卒業。

1944(昭和19)年 16歳
3月

秋田県立秋田工業学校を卒業直前に離散会での飲酒 騒動のリーダーとして留年となる。

この頃

群馬県太田の中島飛行場に勤労動員される。

1945(昭和20)年 17歳
3月

秋田県立秋田工業学校専修科電気科を卒業。本科電気科に編入。

1946(昭和21)年 18歳
3月

秋田県立秋田工業学校本科電気科を卒業。

この頃

秋田製鋼に入社。勤務のかたわら、秋田市にモダン・ ダンス研究所を開いていた増村克子(江口隆哉門下)に師事する。ノイエ・タンツ(ドイツ系)のダンスを習得。

1947(昭和22)年 19歳
この年

はじめて上京。高輪(港区)の正源寺に下宿する。同 宿の画家の田中岑としたしくなったことで、美術家、舞踊家、写真家を知る。
児童舞踊を教えたり廃品回収の仕事をして、1年ばかり在京する。

1949(昭和24)年 21歳
この年

再度、上京。《第1回大野一雄舞踊公演》(神田共立 講堂)を見て衝撃を受ける。

1950(昭和25)年 22歳
この頃

秋田の旭館(現・秋田市大町6丁目)で友人の網代四 郎と〈月の浜辺〉を踊る。また、仲間と演芸チームを結成し、秋田周辺の農村を巡回公演する。

1952(昭和27)年 24歳
この年

上京し、麻布三之橋(港区)の簡易宿泊所・更生館 (第七宿泊所)に居住する。べっこう飴売り、廃品回収、沖仲仕などで生活する。同宿の小島政治と親しくなり、上野・万年町を案内される。

津田・元藤近代舞踊研究所(津田信敏近代舞踊学校) が目黒区下目黒(現・中町)に元藤燁子により設立される(のちのアスベスト館)。同地はかつて好善社が経営していた「慰廃園」と呼ばれるライ療養所の跡地だった。

1953(昭和28)年 25歳
この年

安藤三子舞踊研究所に入門。テレビ放送の開始とともに、テレビ・ダンスショー(安藤三子振付)に出演。

この頃

打越町(中野区)に住む。

1954(昭和29)年 26歳
1月

母スガの死去で帰郷。

9月13日

《安藤三子ダンシング・ヒールズ特別公演》(日比谷公会堂)の〈鴉〉〈サラダ・イン・LP〉〈スリル・ジャンクション〉に出演。土方九日生を名乗り初舞台を踏む。〈鴉〉には大野一雄が特別出演し、岡本太郎が装置を担当する。

この頃

魚籃坂(港区)の簡易宿泊所・演芸館に居住する。

1955(昭和30)年 27歳
11月14日

《安藤三子・堀内完ユニーク・バレエ・グループ公演》(産経会館ホール)で〈ガラスの街〉ほかに出演。

この頃

金森馨と出会い、金森や河原温が住む赤坂(港区)のアパートに移り住む。「赤坂梁山泊」と呼ばれ進駐軍専用の連れ込み宿だったアパートで、ここで、奈良原一高、池田龍雄らを知る。黒木不具人、小原庄助、篠原有司男らとも交友し、上野・池之端の黒木の家にも入りびたる。

1956(昭和31)年 28歳
6月

《安藤三子・堀内完ユニーク・バレエ・グループ第2回定期公演》(産経会館ホール)で〈ジャズ組曲〉〈ガラスの街〉〈カルメン〉に出演。

1957(昭和32)年 29歳
1月

及川広信主宰の《バレエ東京旗揚げ公演》(第一生命ホール)の〈森の歌〉に出演。

8月3日

《安藤三子・堀内完ユニーク・バレエ・グループ第3回定期公演》(第一生命ホール)で〈プレリュード〉の中の「雪の上の足跡」をソロで踊り、小品集の一曲〈チノとテテ〉を図師明子と共作・共演する。

この頃

土方ジュネを名乗る。

11月

父隆蔵の死去で帰郷。

12月

武智鉄二作・演出の〈ミュージックコンクレート・娘道成寺〉(砂防会館ホール)に出演。共演・川口秀子、茂山千之丞ほか。暗黒舞踏の出現を予感させる登場。

この年

春原政久監督、江利チエミ主演の映画「ジャズ娘誕生」(日活)に出演。

1958(昭和33)年 30歳
12月

《劇団人間座・現代舞台芸術協会合同公演》(俳優座劇場)の今井重幸原案・振付・作曲の〈埴輪の舞〉で振付助手を務め、その中の「静と動」の「動」の踊りを作舞し、ソロで踊る。鶏と戯れ転げ回る踊りで、鶏を締め殺す。
また、今井重幸構成・演出、ヨネヤマ・ママコ振付のバレエ・パントマイム〈ハンチキキ〉に「鷸」の役で出演。ヨネヤマ・ママコ、大野一雄らと共演。この公演で今井重幸の命名により初めて「土方巽」を名乗る。

この年

身延山大客殿でヨネヤマ・ママコと踊る。

今井重幸主宰の現代舞台芸術協会のスタジオ(杉並区阿佐ヶ谷、現アルスノーヴァ)に移り住む。今井の紹介で黛敏郎を知る。

1959(昭和34)年 31歳
3月

《第16回舞踊コンクール》(目黒公会堂・日比谷公会堂)で〈鬼ぐもの宿命を金井芙三枝、永田紀子と共演。

この頃

初めて津田信敏近代舞踊学校(津田舞踊塾)を訪れる。元藤燁子と出会う。

4月

《第5回大野一雄舞踊公演》(第一生命ホール)〈老人と海〉の舞台監督を務める。

5月24日

《全日本芸術舞踊協会・第6回新人舞踊公演》(第一生命ホール)で〈禁色〉を発表。共演・大野慶人。音楽・安田収吾。ジャン・ジュネの男色を主題とし、三島由紀夫の小説の題名を借用した作品。反社会的なテーマと内容で舞踊界に衝撃を与え物議をかもす。三島由紀夫との交友が始まる。第1部では永田紀子作品〈POINCIANA〉に出演。

9月5日

650EXPERIENCE の会《9月5日6時の会・6人のアヴアンギャルド》(第一生命ホール)に〈禁色〉(2部作・改訂版)を発表する。共演・大野一雄、大野慶人ほか。また若松美黄作品〈アガペの屍臭〉に出演する。他の5人のアヴァンギャルドは、黛敏郎(音楽)、諸井誠(音楽)、金森馨(造型)、若松美黄(舞踊)、ドナルド・リチー(映像)。プログラムに三島由紀夫が「推薦の辞」を寄稿する。

10月

《芸術舞踊合同公演》(日比谷公会堂)で津田信敏作〈ギロチン〉に出演する。

12月7日

《舞踊公演・20人の女流AVANT-GARDE 》(都市センターホール)で、音来サヒナ作品〈バンザイ女——昭和十五年十二月七日旗日〉を作・演出・出演。共演・大野一雄。ほかに、内田茉莉子作品〈女一コ〉、菅田桂子作品〈しびれた終ゝ〉、奈良加宮作品〈胎児〉、横井真佐子作品〈三眼の夜〉、大友マリ作品〈白の中の白〉に出演。

この年

写真家細江英公を知る。写真集『おとこと女』(1961年刊)としてまとまる撮影を行う。さらに「土方巽に捧げる細江英公写真展」(1960年)の撮影を晴海で行う。

ドナルド・リチーの映像作品(16ミリフィルム)「犠牲」に出演。

同春

阿佐ヶ谷(杉並区松ノ木)に部屋を借りて移り住む。

1960(昭和35)年 32歳
4月

《第2回女流アヴァンギャルド》(都市センターホール)で、音来サヒナ作品〈嫁——四月十九日大安〉を作・演出・出演。ほかに、内田茉莉子作品〈ゼズスキリシトの黙示録〉、毛利節子作品〈メンプシエ〉、菅田桂子作品〈時刻のない血〉、石崎翠作品〈エスキス〉に出演し、元藤燁子作品〈DER, DAS, DIE〉の美術を担当。

6月

細江英公写真展「土方巽に捧げる細江英公写真展」(月光ギャラリー)開催。

7月23、24日

《土方巽DANCE EXPERIENCEの会》(第一生命ホール)を開く。初のリサイタル。〈花達〉〈種子〉〈キキ〉〈鳥達〉〈禁色〉〈ディヴィーヌ抄〉(大野一雄ソロ)〈暗体〉〈DANCE EXPERIENCE 三章〉〈処理場マルドロオルの歌より抜粋一幕〉を作・演出・振付で発表する。共演・大野一雄、大野慶人、菊地朝之、畠山裕、チャーリィー岡村、洪屯包、木村太郎、井出万治郎。美術・水谷勇夫。プログラム(「土方巽氏におくる細江英公写真集」)に三島由紀夫が「危機の舞踊」を寄稿。土方も「中の素材」「素材」を掲載。公演準備中、水谷勇夫に瀧口修造を紹介される。また公演を前に澁澤龍彦を訪れ、公演に招待し交流が始まる。

8月2、3日

《点の会公演》(都市センターホール)で老川比呂志作〈作品NO.0快楽論〉の振付を担当し出演。ほかに元藤燁子、大野慶人も出演。美術を池田龍雄が担当。また同時上演の〈わらしべ長者〉(武智鉄二演出)に唐十郎が大鶴義英の名で出演。

10月2日

650EXPERIENCEの会《第2回6人のアバンギャルド》(第一生命ホール)で〈聖侯爵[暗黒舞踊]〉を発表。共演・大野慶人。他の5人のアヴァンギャルドは、黛敏郎、東松照明、寺山修司、金森馨、三保敬太郎。ポスター・加納光於。プログラムに三島由紀夫が「純粋とは」、瀧口修造が「立会人の言葉」、澁澤龍彦が「前衛とスキャンダル」を寄稿。

10月

《元藤燁子DANCE RECITAL》(草月会館ホール)で「EMILYの薔薇」を演出。

10月21、22日

主演した細江英公の映像作品(16ミリフィルム)「へそと原爆」が、「ジャズ映画実験室」(有楽町・ヴィディオホール)で発表される。

10月29日

音来サヒナ(本岡テル)と結婚(入籍)。

この年

寺山修司演出で〈贋ランボー伝〉にランボー役で出演。共演、大野一雄(ヴェルレーヌ役)、観世栄夫。同じく寺山修司演出〈直立猿人〉にも出演。

写真家ウィリアム・クライン撮影の「TOKYO」で大野一雄とともに被写体となる。

フジテレビのバラエティ番組に立川澄人、戸川昌子、 工藤勉、立川談志、小野栄一とともに出演する(約10週間)。

元藤燁子と横浜・黄金町(中区赤門町・赤門荘)に移り住む。公演の資金づくりのため、ダンスチーム「ブルーエコーズ」を結成する。

1961(昭和36)年 33歳
6月3、4日

《燁 DANCE RECITAL》(草月会館ホール)で〈EMILYの薔薇〉(改訂)〈磷の章 a鳥b華c作品〉〈架空庭園〉を作・演出。主演、 元藤燁子、共演、土方巽、大野一雄、折田克子、厚木凡人、大野慶人ほか。美術・細江英公、今井寿恵、緒方規矩子、土方巽。

7月1日

《藤井邦彦創作舞踊研究所公演》(イイノホール)で藤井邦彦振付・演出、池宮信夫作・演出〈ニグロと河〉第2幕「さとうきびの畑のなかで」に出演。共演・大野一雄、元藤燁子ほか。

7月13,14日

現代詩の会企画・構成《詩とショウの大結婚式》(イイノホール)に出演。

9月3日

《土方巽DANCE EXPERIENCEの会》(第一生命ホール)で〈半陰半陽者の昼下がりの秘儀・参章(・発作によるCROISe・半陰半陽者の昼下がりの秘儀・作舞家の腫物)〉〈砂糖菓子・四章(舌の上の甘い砂糖菓子 ・そして歯のある器)〉を発表し、演出・振付・出演。共演(体験者)・大野 一雄、若松美黄、藤井邦彦、遠藤善久、大野慶人、川名かほる、石井満隆ほか。美術・加納光於、吉村益信、田中不二、音楽・安田収吾。初めて「暗黒舞踊派」を称する。プログラムに三島由紀夫が「前衛舞踊と物との関係」、澁澤龍彦が「燔祭の舞踊家」を寄稿し、瀧口修造がチラシにメッセージを寄せる。

11月

《森田真弘・益代モダンダンスリサイタル》(大阪産経ホール)で〈黒いメモ〉に賛助出演。

この年

細江英公による三島由紀夫の写真集『薔薇刑』の撮影がアスベスト館でも行われモデルにもなる。

ドナルド・リチーの映像作品(16ミリフィルム)「戦争ごっこ」で振付を担当。

上野の男娼お京、死去。

大岡山(大田区北千束)に移り住む。

1962(昭和37)年 34歳
5月24日

《WORKS OF YOKO ONO 小野洋子(ヨーコ・オノ)作品発表会》(草月会館ホール)に協力出演。

6月10日

《レダの会発足第1回公演》(アスベスト・ホール)で〈レダ三態〉を作・演出。主演・元藤燁子、台本・矢川澄子、美術・野中ユリ。音楽・刀根康尚、小杉武久。アスベスト館での初めての舞踊公演となる。 埴谷雄高が観覧し「胎内瞑想」と名づける。

7月

二〇世紀舞踊の会《動きと映像のゼミナール》(邦千谷舞踊研究所)に参加する。

8月

《敗戦記念晩餐会》(国立市公民館)を赤瀬川原平、風倉匠、吉村益信、小杉武久、刀根康尚、吉野辰海、升田金平、ヨシダ・ ヨシエと開催する。土方はソロで踊り、風倉の胸に焼鏝を当てる。翌年からの実験的な舞踏公演の先駆的ハプニング。

10月

ジョン・ケージとデヴィッド・チュードアがアスベスト館に来館、暗黒舞踊派とグループ音楽による歓迎のイベントを催す。中西夏之も参加する。

この年

「アスベスト館」の名称とともに稽古場とする。また、「バー・ギボンの会」を設立しアスベスト館内にバー・ギボンを開設する。

ショーチーム「ダンシング・ゴーギー」を結成する。土方と元藤のほか、大野慶人、野村純、佐々木博康、川名かほる。

1963(昭和38)年 35歳
4月17日

《堂本正樹演出リサイタル》(草月会館ホール)で〈降霊館死学〉に出演。共演・葵妖子、ジャン・ヌーボほか。作句・加藤郁乎、美術・池田満寿夫。

11月5日

《土方巽DANCE EXPERIENCEの会》(草月会館ホール) 〈あんま——愛慾を支える劇場の話〉を作・演出・振付・出演。共演・大野一雄、大野慶人ほか。美術・風倉匠、赤瀬川原平。音楽・小杉武久。案内状・池田満寿夫、勝井三雄。「暗黒舞踊派結成八周年記念」と称する。ホールの土間に畳を敷き開かれた舞台空間を構成する。土方の作品中、最も前衛芸術的な作品。プログラムとして豆本詩画集『あんま』を制作。池田満寿夫の銅版画に、埴谷雄高、三島由紀夫、三好豊一郎、澁澤龍彦、加藤郁乎の詩文。

12月

《パフォーミング・フェスティバルSWEET16》(草月会館ホール)に出演。他の出演者は、風倉匠、飯村隆彦、刀根康尚、久保田成子ら。

この年

笠井叡がアスベスト館を訪れる。

目黒不動前(目黒区下目黒・好日荘)に移り住む。

1964(昭和39)年 36歳
2月29日

《厚木凡人ダンスリサイタル〈第1回〉》(都市センターホール)で〈他人の作品〉を振付。厚木凡人作・振付〈青の儀〉と若松美黄作、永田千晴振付〈鼻糞の勝利〉に出演。

2-5月

日劇ミュージックホールで〈ビーナスの下半身〉の振付を担当。石原慎太郎演出。

5月29日

《白南準(ナムジュン・パイク)作品発表会》(草月会館ホール)に参加 。

11月20日

《MODERN DANCE WORK SHOP》(草月会館ホール)に参加。

この夏

目黒不動尊の門前で、かき氷屋「仁王」を開店する。冬季にはおでん屋となる。(66年の4月まで開業)

この年

玉野黄市、中嶋夏がアスベスト館に。この頃、大野一雄もアスベスト館で指導にあたる。

1965(昭和40)年 37歳
9月

細江英公と秋田に帰郷、のちに写真集『鎌鼬』としてまとまる写真撮影を羽後町田代で行う。この東北の風土と身体を再確認する経験がその後の土方巽の舞踏作品にも影響を与える。

11月27、28日

ガルメラ商会謹製《暗黒舞踊派提携記念公演》(千日谷会堂)〈バラ色ダンス——A LA MAISON DE M. CIVECAWA(澁澤さんの家の方へ)〉を演出・振付・出演。共演・大野一雄、大野慶人、石井満隆、笠井叡、玉野黄市ほか。風倉匠、城之内元晴らが床屋のパフォーマンス。美術・中西夏之、加納光於、赤瀬川原平。ポスター・横尾忠則。音楽・小杉武久、刀根康尚。中西が案内状を、加納が食べられるパンフレット「砂糖菓子」を制作。

この年

麿赤児、つづいて唐十郎と李礼仙がアスベスト館に。

1966(昭和41)年 38歳
4月

状況劇場第6回公演〈腰巻お仙の百個の恥丘〉(戸山ハイツ空地)に協力。

7月16-18日

《暗黒舞踏派解散公演》(紀伊國屋ホール)〈性愛恩懲学指南図絵——トマト〉を演出・振付・出演。共演・大野一雄、大野慶人、 石井満隆、笠井叡ら。風倉匠が椅子を使ってのパフォーマンス。音楽・刀根康尚。ポスター、案内状・野中ユリ。同時に「解散資金・財団法人暗黒舞踏派コレクション展示即売」が行われ、加納光於、中西夏之、横尾忠則、赤瀬川原平、菊畑茂久馬、谷川晃一、宇佐美圭司、三木富雄、野中ユリが作品を出品。

8月26日

《笠井叡處女瑠祭他瑠》(銀座・ガスホール)〈舞踏集第壹輯〉を制作。

10月

《森田真弘・益代モダンダンスリサイタル》(朝日生命ホール)で森田真弘〈釜ケ崎〉(〈黒いメモ〉改題)に賛助出演、森田真弘作〈花空間〉を舞踊演出・賛助出演。

この年

長女誕生。

近くに転居(目黒区下目黒・石川荘)。ついで、家族は沼津(大石田)に移り住む。

1967(昭和42)年 39歳
2月

加藤郁乎の室生犀星賞受賞を祝う会で吉岡実を知る。

4月1、2日

《アルトー館第2回公演》(草月会館ホール)での大沼鉄郎台本・及川広信演出〈ゲスラー・テル群論〉に出演。

7月3日

ガルメラ商会謹製《高井富子舞踏公演》(紀伊國屋ホール)〈形而情學〉を演出・出演。共演・大野一雄、石井満隆、笠井叡ほか。 美術・中西夏之、清水晃、谷川晃一。ポスター・篠原佳尾。加藤郁乎詩集『形而情學』による作品を舞踏の先駆者がそろって熱演。これまでの実験的な舞台から〈肉体の叛乱〉につながる舞踏への転換を示す。髪を伸ばし始める。

8月

飯島耕一の詩によるラジオ番組「明治百年記念シリーズ第19集〈八月の詩〉」(文化放送)に出演、詩を朗読する。

8月28日 ガルメラ商会謹製《石井満隆DANCE EXPERIENCEの会》(第一生命ホール)〈舞踏ジュネ〉を演出・振付・出演。共演・大野一雄、玉野黄市ほか。美術・中西夏之、谷川晃一。ポスター・谷川晃一。
8月

《中嶋夏第1回舞踏公演》(銀座・ガスホール)で〈女達——金競輪・銀競輪〉を演出・振付。

11月

テレビ番組「題名のない音楽会——壮絶!これが即興舞踊」(テレビ朝日)に出演する。オーケストラを指揮するほか、大野一雄、笠井叡とともに即興舞踊を展開。

この年

次女誕生。

沼津の住まいを移す(千本松)。ついで、アスベスト館の近く(目黒区中町・嘉山荘)に移り住む。

1968(昭和43)年 40歳
3月19-31日

細江英公写真展(銀座・ニコンサロン)「とてつもなく悲劇的な喜劇——日本の舞踏家・天才〈土方巽〉主演写真劇場」が開催(翌年、写真集『鎌鼬』として刊行)。

4月2-7日

細江英公写真展(毎日大阪会館南館)「とてつもなく悲劇的な喜劇—日本の舞踏家・天才〈土方巽〉主演写真劇場」が開催。

5月

種村季弘が「美術手帖」(6月号)に「暗黒の舞踏家・土方巽の狂気」のタイトルで細江英公写真展の批評を発表する。のちに、その抜粋が「肉体の叛乱」のタイトルで引用され、土方巽の公演名とも、土方巽の舞踏を象徴する言葉ともなる。

6月13日

《石井満隆舞踏公演》(銀座・ガスホール)で〈おじゅね抄〉に出演、「花嫁」(猫)、「キリスト」をソロで踊る。共演・大野一雄ほか。美術・中西夏之。

8月3日

《芦川羊子第1回リサイタル》(草月会館ホール) 〈D53264機にのる友達ビオレット・ノジエイルの方へつねに遠のいてゆく風景 PACIFIC231 機にのる舞踏嬢羊子〉を演出・振付。美術、ポスター・中村宏。

9月28日

《高井富子舞踏公演》(第一生命ホール)〈まんだら屋敷〉を演出・振付・出演。「泥棒猫(魚と飯)」、「コルセットの踊り」をソロで踊る。共演・大野一雄。美術、ポスター・清水晃。ロビー作品展示・野中ユリ、清水晃、中根明貴子。

10月9、10日 《土方巽舞踏公演》(日本青年館)〈土方巽と日本人 —肉体の叛乱〉を演出・振付・出演。美術・中西夏之。衣裳、小道具・土井 典。ポスター・横尾忠則。土方の完全なソロで暴力性とエロチシズムとユーモ アにあふれ、聖性にまで昇華された舞台となる。暗黒舞踏派結成11周年記念と 称する。
11月

詩画集『土方巽舞踏展 あんま』を制作。出品・飯島耕一、池田満寿夫、加藤郁乎、加納光於、澁澤龍彦、瀧口修造、田中一光、中西夏之、中村宏、野中ユリ、三木富雄、三好豊一郎、吉岡実。

この年 元藤燁子と結婚(入籍)し元藤姓になる。
この頃

芦川羊子をはじめ若い弟子たちの入門が増えアスベスト館に寄宿するようになる。土方は弟子たちに、生活が即、舞踏であることを求める。

1969(昭和44)年 41歳
2月

磐梯熱海温泉・磐光ホテル火災で弟子二人が焼死。

2月

《クロス・トーク/インターメディア》(代々木国立競技場)の出演を急遽、取りやめる。

3-11月

赤坂「スペース・カプセル」での連続ショー公演を企画・構成。出演・芦川羊子、小林嵯峨、弾充(玉野黄市)ほか。小道具・土井典。ほかに状況劇場、伊藤ミカ・ビザール・バレエグループらも出演。

6月

日本万国博覧会出展作品の映像〈誕生—アストラマのために—〉に出演のため北海道・硫黄山で撮影。

11月

《大野慶人暗黒舞踏公演》(東京厚生年金会館小ホール)を構成。

11月

細江英公が土方巽を秋田などで撮影した写真集『鎌鼬』が刊行される(現代思潮社)。装丁・田中一光。

この年

映画出演がつづく。

「元禄女系図」石井輝男監督(東映)。タイトルバックを演出。

「猟奇女犯罪史」石井輝男監督(東映)。阿部定と共演。

「恐怖奇形人間」石井輝男監督(東映)。演出・振付を担当。

「臍閣下」西江孝之監督(日本映画研究所)。榎本健一主演。土方巽の舞踏シーン。

「日本暗殺秘録」中島貞夫監督(東映)。

都立大学前(目黒区八雲)に移り住む。

1970(昭和45)年 42歳
5月2日

《唐十郎 河原男爵 愛のリサイタル》(アートシアター新宿文化)に友情出演。

8月28-9月1日

「土方巽燔犠大踏鑑(付)コレクション展示即売」展を開催(西武百貨店池袋店・ファウンテンホール)。主催・ガルメラ商会。美術・中西夏之。初めて「燔犠大踏鑑」を標榜し、土方舞踏の基礎理念とする。
「燔犠大踏鑑」は高橋睦郎提案、三島由紀夫揮毫による。

8-9月

暗黒舞踏派《カシアス・ニジスキー公演》(新宿アート・ビレッジ)〈唖の種子〉を構成・演出・振付。出演・弾充(玉野黄市)。

10-12月

《幻獣社公演》(新宿アート・ビレッジ)〈ギバサ〉を構成・演出・振付。出演・芦川羊子、小林嵯峨ほか。女性の弟子を中心に幻獣社を結成し、アート・ビレッジでの連続公演を開始する。

10月

《土方巽燔犠大踏鑑・第1回京都公演》(京都大学西部講堂)で〈ギバサ〉を構成・演出・振付。

10月2-17日

《劇団人間座公演》(アートシアター新宿文化)〈骨餓身峠死人葛〉に出演。共演・瑳峨美智子。原作・野坂昭如。演出・江田和雄。美術・粟津潔。パンフレットに松山俊太郎が「謎の日本人」を寄稿。

この年

次の映画に出演する。

「日本の悪霊」黒木和雄監督(ATG)

「怪談・昇り龍」石井輝男監督(日活・ダイニチ)

「誕生」秋山智弘監督(制作・学研、日本万国博覧会出品)。脚本・谷川俊太郎。作曲・黛敏郎。みどり館で「アストラマ(全天全周映像)」として上映・展示。

アスベスト館近く(目黒区目黒・イマイアパート)に移り住む。

1971(昭和46)年 43歳
1月-12月

《幻獣社公演》(新宿アート・ビレッジ)〈売ラブ〉 〈すさめ玉〉などを作・演出・振付。出演・芦川羊子、小林嵯峨、仁村桃子ほか。

この年

文学座アトリエの会公演(文学座アトリエ)で〈結婚〉の振付を担当。演出・藤原新平。

映画「闇の中の魑魅魍魎」中平康監督(中平プロ・東宝)に出演。

目黒(品川区上大崎・雅叙苑マンション)に移り住む。

1972(昭和47)年 44歳
1月21-24日

《土方巽燔犠大踏鑑・第2回京都公演》(京都大学西部講堂)で〈売ラブ〉〈ギバサ〉〈すさめ玉〉〈残念記〉を構成・演出・振付。

4月

《暗黒舞踏幻獣社・新宿公演復活版》(新宿アート・ビレッジ)〈羊羹〉を作・演出・振付。6月に再上演。

6月4、5日

《燔犠大踏鑑・(付)私の娘展示即売》(西武百貨店池袋店・ファウンテンホール)で〈すさめ玉・前后篇〉を演出・振付。出演・ 芦川羊子、小林嵯峨、仁村桃子、和栗由紀夫。

9月14日

《哈爾賓派結成記念公演》(東京厚生年金会館小ホール)で[玉野黄市作品集]〈長須鯨〉を作・演出・振付。出演・玉野黄市、芦川羊子、小林嵯峨ほか。

10月25日-11月20日

《燔犠大踏鑑第二次暗黒舞踏派結束記念公演・四季のための二十七晩》(アートシアター新宿文化)〈疱瘡譚〉〈すさめ玉〉〈碍子考〉〈なだれ飴〉〈ギバサン〉を作・演出・振付・出演(出演は〈なだれ飴〉を除く)。音楽・木田林松栄、佐藤康和。「鎌鼬」以来の東北回帰を集大成するテーマと内容で「東北歌舞伎」と称した。観客も8,500人以上を動員し、舞踏の様式化の端緒ともなる舞踏史上、記念碑的な公演となる。

10月

劇団雲第32回公演〈マクベス〉(荒川哲生演出)で振付を担当。

11月20日

《瞽女・姻》(東横劇場)に出演。出演・(長岡瞽女)中静ミサオ、金子セキ、加藤イサ。

11月25-30日

《燔犧大踏鑑アンコール公演》(新宿アート・ビレッジ)〈疱瘡譚〉〈なだれ飴〉を作・演出・振付。

この年

《劇団雲公演》(日生劇場)で〈マクベス〉の振付を担当。演出・荒川哲生、装置・朝倉摂、音楽・武満徹。

1973(昭和48)年 45歳
1月

土方巽と暗黒舞踏派が第4回舞踊批評家協会賞(1972年度)を受賞。

2月

「美術手帖」(美術出版社)(2月号)〈特集・土方巽の”踊る”——燔犧大踏鑑・四季のための二十七晩〉。

6月29、30日

《土方巽燔犠大踏鑑・第3回京都公演「肉体の根拠を索めて」》(京都大学西部講堂)で〈疱瘡譚〉〈夏の嵐〉を演出・振付・出演。東京以外で舞台に立った唯一の公演。

7月11日

《燔犠大踏鑑・東北里帰り公演》(岩手県民会館中ホール)で〈疱瘡譚〉を上演。

9月2-16日

《燔犠大踏鑑公演[踊り子フーピーと西武劇場のための十五日間]》(西武劇場)〈静かな家 前篇・後篇〉を作・演出・振付・出演。美術・中西夏之、中村宏。ポスター・田中一光。音楽・佐藤康和。
タイトルは吉岡実の同名詩集に拠る。チラシに瀧口修造が「真空の巣へ」を寄稿。自作品の最後の出演となる。

10月3-5日

《大駱駝艦・天賦典式》(日本青年館)で麿赤児作・演出〈陽物神譚〉に特別出演。舞台出演の最後となる。

この年

映画「卑弥呼」篠田正浩監督(ATG)に出演。

目黒で移り住む(品川区上大崎・日東ビル)。

1974(昭和49)年 46歳
6月4-9日

《白桃房舞踏公演》(新宿アート・ビレッジ)〈白桃図〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子、小林嵯峨、仁村桃子、和栗由紀夫ほか。芦川羊子を中心として白桃房を発足させ、土方は演出と振付に専念する。

7月4-10日

《白桃房舞踏公演》(新宿アート・ビレッジ)〈美人と病気〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子、小林嵯峨、仁村桃子、和栗由紀夫ほか。

8月1-17日

《白桃房舞踏公演》(新宿アート・ビレッジ)〈日月ボール〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子、小林嵯峨、仁村桃子、和栗由紀夫ほか。

10月20-30日

《シアター・アスベスト館落成記念・白桃房舞踏公演》(アスベスト館)〈暗黒舞踏ゑびす屋お蝶〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子、小林嵯峨、仁村桃子、和栗由紀夫、雨宮光一ほか。

この秋

アスベスト館を劇場として改装し、白桃房の本拠として連続公演を開始する。この連続公演の実施で、土方の構想する舞踏を構築し錬成することを可能にする。

10月12日

ラジオ番組「吉岡実の世界」(NHK)で吉岡実の詩を朗読する。

11月23-30日

《アスベスト館続館びらき・白桃房舞踏公演》(アスベスト館)〈サイレン鮭〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子、小林嵯峨、仁村桃子、和栗由紀夫ほか。

11月

明治大学・法政大学大学祭で〈ゑびす屋お蝶〉〈日月ボール〉を上演。

この年

不動前(品川区西五反田)に移り住む。

1975(昭和50)年 47歳
1月

芦川羊子が第6回舞踊批評協会賞(1974年度)を受賞する。

1月26日-2月2日

《アスベスト館続々館びらき・土方巽燔犠大踏鑑・白桃房舞踏公演》(アスベスト館)〈ラプソディー・イン「二品屋」〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子、仁村桃子、和栗由紀夫ほか。

3月23日-3月30日

《アスベスト館3月公演・燔犠大踏鑑》(アスベスト館)作品No.7〈バッケ先生の恋人〉を作・演出・振付。出演・白桃房。美術・吉江庄蔵。

5月24-31日

《アスベスト館5月公演・燔犠大踏鑑》(アスベスト館)作品No.8〈彼女らを起こすなかれ〉を作・演出・振付。出演・白桃房。美術・吉江庄蔵。

7月25-31日

《アスベスト館7月公演・燔犧大踏鑑》(アスベスト館)作品No.9〈小日傘〉を作・演出・振付。出演・白桃房。美術・吉江庄蔵。

9月24-30日

《アスベスト館9月公演・燔犠大踏鑑》(アスベスト館)作品No.10〈嘘つく盲目の少女〉を作・演出・振付。出演・白桃房。美術・吉江庄蔵。

10月18、19日

《燔犠大踏鑑第四回京都公演》(京都大学西部講堂)で〈小日傘〉〈バッケ〉を上演。

11月

東京展(東京都美術館)で〈小日傘〉上演する。

11月

ラジオドラマ「湧然の柵」(文化放送)に主演。脚本・川崎洋。同作品は放送文化賞を受賞。

12月10-17日

《アスベスト館館びらき1周年記念・アスベスト館12月公演・燔犠大踏鑑》(アスベスト館)作品No.11〈暗黒版かぐやひめ〉を作・演出・振付。出演・白桃房。美術・吉江庄蔵。

1976(昭和51)年 48歳
1月

芦川羊子が第7回舞踊批評家協会賞(1975年度)を受賞する。初の2年連続受賞。

2月

《アスベスト館2月公演・燔犠大踏鑑》(アスベスト館)作品No.12〈梨頭〉を作・演出・振付。出演・哈爾賓派玉野黄市ほか。

2月

『犬の静脈に嫉妬することから』(鶴岡善久編 湯川書房)刊行。

4月25日-5月2日

《アスベスト館4月公演・燔犠大踏鑑》(アスベスト館)作品No.13 〈それはこのような夜だった〉を作・演出・振付。出演・霧笛舎中嶋夏ほか。

6月10-23日

《暗黒舞踏派結成20周年記念連続公演一・アスベスト館6月公演・燔犠大踏鑑》(アスベスト館)作品No.14〈ひとがた〉を作・演出・振付。出演・白桃房。美術・吉江庄蔵。

9月

映画「風の景色」(大内田圭弥監督作品)に主演。

10月28日-11月3日

《山本萌金沢舞踏館設立記念公演・暗黒舞踏派結成20周年記念連続公演・アスベスト館10月公演・燔犠大踏鑑》(アスべスト館)作品No.15 〈正面の衣裳——少年と少女のための闇の手本〉を作・演出・振付。出演・金沢舞踏館山本萌ほか。

12月1-15日

《暗黒舞踏派結成20周年記念連続公演・アスベスト館封印記念12月公演・燔犠大踏鑑》(アスベスト館)作品No.16 〈鯨線上の奥方〉を作・演出・振付。出演・白桃房。美術・吉江庄蔵。この公演でアスベスト館を封印し白桃房によるアスベスト館連続公演を停止する。
住宅地にあるアスベスト館は正式な劇場としての認可を受けておらず、近隣からの苦情が高まり、都条例および消防法に違背していることで劇場としての継続が困難になる。

1977(昭和52)年 49歳
1月

土方巽と暗黒舞踏派が第8回舞踊批評家協会賞(1976年度)を受賞する。

4月

雑誌「新劇」に「病める舞姫」の執筆を開始する。翌年3月まで連載される。

7月27日

《小林嵯峨舞踏公演》(渋谷エピキュラス)〈にがい光〉を演出・振付。出演・小林嵯峨ほか。

8月26-28日

《金沢舞踏館・館びらき記念公演》(金沢舞踏館)〈埃をあびた蛍のような男〉を構成。出演・山本萌、仁村桃子ほか。

9月28、29日

《第4回哈爾賓派舞踏公演》(目黒区民センターホール)〈幻児の眼のなかの草〉を構成。出演・玉野黄市、山本萌、和栗由紀夫ほか。

11月1、2日

《大野一雄舞踏公演》(第一生命ホール)〈ラ・アルヘンチーナ頌〉を演出。その後の大野一雄の舞踏活動を基礎づける。

この年

目黒不動の近く(目黒区下目黒)に移り住む。

1978(昭和53)年 50歳
10月

パリ市フェスティバル・ドートンヌ《間展》(ルーブル装飾美術館)に〈闇の舞姫十二態——ルーブル宮のための十四晩〉を構成。出演・芦川羊子。初の海外公演。

10月23-25日

《仁村桃子舞踏公演・アスベスト館松代分室設置記念》(三百人劇場)〈最初の花〉を演出・振付。出演。仁村桃子、山本萌。

10月27-29日

《和栗由紀夫舞踏公演・好善社回想記念公演》(三百人劇場)〈楼閣に翼〉を演出・振付。出演・和栗由紀夫、山本萌ほか。和栗由紀夫に「好善社」の号を授ける。

1981(昭和56)年 53歳
1月23-25日

《大野一雄舞踏公演》(第一生命ホール)〈わたしのお母さん〉を演出。

1983(昭和58)年 55歳
1月

《土方巽暗黒舞踏》(planB)「映像構成と談話による」を構成。

3月

『病める舞姫』(白水社) を刊行。

3月7、8日

《土方巽暗黒舞踏アンコール》(planB)「青のテーブル——映像と談風による」を構成。

4月21-28日

《フック・オン88——景色へ1瓲の髪型》(planB)を構成。〈スペインに桜〉〈planB寺模写〉〈非常に急速な吸気性ブロマイド〉の3部作を作・演出・振付。出演・芦川羊子、岩名雅記、大杉空也、大森政秀、神領國資、五井輝、森繁哉、山本萌、田中泯。

6月、7月

《FESTIVAL OF JAPANESE ARTS(日本芸術祭)》(イギリス・ノッティンガム)に〈日本の乳房〉を構成。出演・芦川羊子、小林嵯峨。ほかにオランダ、ドイツ、イタリアなどで上演。

1984(昭和59)年 56歳
5月

《北方舞踏派公演》(草月会館ホール)〈鷹ざしき〉を演出・振付。出演・ピショップ・山田ほか。

7月2日

「瀧口修造を偲ぶ会」(草月会館)で「詩人に捧げるスライド」構成。

7月-10月

「土方巽舞踏講座」(アスベスト館)を毎週日曜日に開講。

9月11-13日

《田中泯1501回独舞公演》(第一生命ホール)を構成・演出。「恋愛舞踏派」定礎公演。

11月5日

来日中のオクタビオ・パスのお別れ会がアスベスト館で催され、芦川羊子が踊る。

1985(昭和60)年 57歳
2月9-13・18-27日

《舞踏フェスティバル'85[舞踏懺悔録集成——七人の季節と城]》を構成(朝日ホール・新宿文化ホール)。衆踏前夜祭(9日)に「衰弱体の採集」と題して講演。

3月

《スタジオ200 舞踏講座》(スタジオ200)〈東北歌舞伎計画一〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子、東北歌舞伎研究会。

5月11日

《暗黒舞踏前橋初公演》(煥乎堂音楽センター)〈ひとがた〉よりを構成・演出・振付。出演・芦川羊子、高井富子。

5月19-26日

《アスベスト館開封記念公演》(アスベスト館)'85 作品No.1〈親しみへの奥の手〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子ほか。

6月

《スタジオ200舞踏講座》(スタジオ200)〈東北歌舞伎計画二〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子、東北歌舞伎研究会。

8月、9月

《'85年東北縦断公演》(盛岡・気仙沼・弘前・青森 ・むつ・仙台・山形)〈日本の乳房〉を構成・演出・振付。出演・芦川羊子ほか。

9月15、16、22、23日

《アスベスト館売却成立記念公演》(アスベスト館)土方巽作品No.88 〈油面のダリヤ〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子ほか。

9月

《スタジオ200舞踏講座》(スタジオ200)〈東北歌舞伎計画三〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子、東北歌舞伎研究会。

10月

《テルプシコール・舞踏新人シリーズ》(テルプシコール)〈教文館の前にて〉を作・演出・振付。出演・江野沢摂子、清水博子。

11月

「土方巽舞踏行脚・其ノ一」(神戸・大阪・京都・金沢・名古屋)を実施。講演とスライド上映の構成。

12月

《スタジオ200 舞踏講座》(スタジオ200)〈東北歌舞伎計画四〉を作・演出・振付。出演・芦川羊子、東北歌舞伎研究会。遺作となる。

1986(昭和61)年
1月21日

死去。東京女子医大附属病院にて肝硬変、肝臓ガン併発のため。享年57歳。静岡県伊東市宇佐美の朝善寺に納骨。戒名「慶徳院公修日映居士」。銀座セゾン劇場の柿落とし公演として「東北歌舞伎」の集大成を計画し構想していたが実現をみることはなかった。

5月

「美術手帖」(美術出版社)5月号で〈特集・美術の土方巽〉。

この年

LPレコード『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』制作(アスベスト館)。香典返しとして関係者に配付。

1987(昭和62)年
1月

遺文集『美貌の青空』刊行(筑摩書房)。装丁・吉岡実。

1月

『土方巽舞踏写真集・危機に立つ肉体』刊行(パルコ出版)。

1月

アスベスト館に「土方巽記念資料館」設立。舞踏および土方巽に関する資料の保存と収集、整備、そして展示等を行うための機関。「アスベスト館通信」を刊行(1号-10号)。

1-2月

「土方巽舞踏写真展 危機に立つ肉体」開催(渋谷パルコパート1)。

8月

《土方巽追悼公演「病める舞姫」》(銀座セゾン劇場)。出演・大野一雄、笠井叡、芦川羊子、麿赤児ら。ポスター・加納光於、田中一光、中西夏之、細江英公、横尾忠則、吉岡実。

9月

吉岡実著『土方巽頌』刊行(筑摩書房)。

1988(昭和63)年
7月

「Dance ・Aix-Province de Festival International」(フランス・エクスプロヴァンス)に〈土方巽へのオマージュ〉(土方巽フィルム上映)出品。

1989(平成元)年
9月

「Festival International de Nouvelle dance」(カナダ・モントリオール)に〈土方巽へのオマージュ〉(土方巽フィルム上映と写真展)出品。

10月

「土方巽とその周辺展——舞踏と美術の表現世界を探る」(横浜市民ギャラリー) 開催。ポスター・横尾忠則。横浜国際舞台芸術フェスティバル参加。

1949(昭和24)年 21歳
1990(平成2)年
8月

元藤燁子著『土方巽とともに』刊行(筑摩書房)。

9月

アスベスト館改築・開館記念〈アイコンとしての身体〉(アスベスト館)開催。

1991(平成3)年
1月

「土方巽展 原肉体への回帰」(広島市現代美術館) 開催。

2月-3月

「土方巽展——風のメタモルフォーゼ」(秋田市立千秋美術館)開催。

1992(平成4)年
1月

〈土方巽七回忌・聖なる箪笥(アーク)〉(アスベスト館)開催。

1月

『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』刊行(書肆山田)。筆録・吉増剛造。

1993(平成5)年
11月

『土方巽舞踏大鑑——かさぶたとキャラメル』刊行(悠思社)。

1994(平成6)年
2-3月

「戦後日本の前衛美術展」(横浜美術館)に〈肉体の叛乱〉が構成・出品される。翌年にかけて、ニューヨーク・グッゲンハイム美術館とサンフランシスコ現代美術館に巡回される。

1996(平成8)年
11月-1997年1月

「舞踏と文学 土方巽と作家との交流展」(世田谷文学館)開催。

1997(平成9)年
12月-1998年1月

「美術と舞踏の土方巽展」(池田二十世紀美術館)開催。

1998(平成10)年
1-12月

「土方巽‘98」開催。

1月

『土方巽全集』刊行(河出書房新社)。

3月

「芸術新潮」(新潮社)3月号で〈特集・世紀末に降臨する舞踏の“魔人”土方巽〉。

4月

慶應義塾大学アート・センターに「土方巽アーカイヴ」設立。

11月

土方巽記念資料館構成〈ダンス・コルプス アイコンとしての身体・表現する身体〉(世田谷パブリックシアター・トラム)開催。

11-12月

「土方巽アーカイヴ開設記念〈四季のための二十七晩〉をめぐって」(慶應義塾大学)開催。

11月

土方巽アーカイヴ編『四季のための二十七晩』刊行 (慶應義塾大学アート・センター)。

2000(平成12)年
3月

『ジェネティック・アーカイヴ・エンジン—デジタルの森で踊る土方巽—』刊行(慶應義塾大学アート・センター)。

12月

「バラ色ダンスのイコノロジー 土方巽を再構築する」開催(慶應義塾大学)。土方巽アーカイヴ編『バラ色ダンスのイコノロジー』『土方巽[舞踏]資料集第1歩』刊行(慶應義塾大学アート・センター)。

2002(平成14)年
8月

JADE2002「土方メモリアル」開催。

2003(平成15)年
3月

『土方巽の舞踏世界 中谷忠雄写真集』刊行(心泉社)。

6月

アスベスト館廃館。

10月11日-2004年1月12日

「肉体のシュルレアリスム 舞踏家土方巽抄」展(川崎市岡本太郎美術館)開催。

10月19日

元藤燁子死去。

2004(平成16)年
1月

慶應義塾大学アート・センターほか編『土方巽の舞踏 ——肉体のシュルレアリスム 身体のオントロジー』刊行(慶應義塾大学出版会)。

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