慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

北村四海《手古奈》の修復

  本作品は明治から大正期に活躍した彫刻家北村四海(1971-1927)の代表作で、明治42(1909)年、第3回文展(文部省美術展覧会)の出品作である。文展終了後塾員山下吉三郎氏の仲介で創立五十周年記念図書館の新築祝いとして慶應義塾に寄贈されることになり、明治45(1912)年4月に竣工した図書館玄関ホールに設置された。その後、1945年5月の東京大空襲によって被災し、戦後まもなくより図書館地下の倉庫に収納され、そのままの状態となっていた。1999年、倉庫の改修工事計画により作品搬出が必要となり、調査が行われ、修復・再展示について検討されることとなった。この作品の詳細および、再発見時状況については、下記の柳井論文を参照。専門家の調査結果を経たこの柳井氏の提言を受けて、2005年度美術品管理運用委員会にて本作品の修復・再展示が検討・承認された。修復にあたっては、本作品が経てきた歴史的痕跡を留める方針とし、欠損部分は補填せず、戦禍による痕跡についても残すこととなった。また、2006年度同委員会において、同方針が再確認され、同時に展示時には歴史的痕跡について鑑賞者の理解に資する説明等を併設することが不可欠ということも確認された。

以上のような経緯の下、アート・センターを通じて専門家に調査・修復を依頼し、ブロンズスタジオ、黒川弘毅氏、高橋裕二氏が担当した。

[文献] 柳井康弘「北村四海《手古奈》の修復・再展示に関する提言」『慶應義塾アート・センター 年報7』、2000年3月、6-17頁/植草学「美のふるさと 信州近代美術家たちの物語⑤ 北村四海(上)」信濃毎日新聞2005年6月20日、「美のふるさと 信州近代美術家たちの物語⑥ 北村四海(下)」信濃毎日新聞2005年6月27日(再録:植草学『美のぶるさと』、信濃毎日新聞社、2007年3月)/「長野市出身・北村四海の代表的石彫 60年余を経て『手古奈』公開へ 戦争中に損傷 慶大で再発見 修復作業進む」、『信濃毎日新聞』、2006年8月10日



保存修復作業記録

2007年5月7日

ブロンズスタジオ・黒川弘毅/高橋裕二(作業内容・クリーニング作業部分)

 

●作品

作者=北村四海

作品名=手古奈

材質・技法=白大理石(かんすい)

寸法=170×80×77cm

 

●作業の基本方針

1.・歴史の中で被った変化もまた、作品のオリジナリティーの一部として尊重することを基本方針とし、復元的な美観修復を施さない。すなわち、太平洋戦争の空襲による火災で被った作品のダメージは、慶應義塾の歴史と運命を共にした「記録」として提示し、作品を現状で展示活用することを基本方針とする。

・人体部・壺等、作品の表現要素に直結する欠失個所復元は、今後の検討課題として今回の作業では留保することとし、今後復元が行われる際に障碍となるような作業方法はとらない。

2.・欠失個所(大きなものとしては左右腕、壺の上部、断裂個所の地山部盤左側の個所。小さなものとしては頭部の前髪・眉稜・鼻・唇等の突出部、断裂個所周縁に沿った部分)の復元は行わない。

・火炎の熱によって石材表面が部分的にはぜて剥落したスポット状の剥離痕が、人体の頭部から上半身にかけて多数存在するが、これらの修復は行わない。

3.・クリーニングは、精製水もしくは界面活性剤トリトンX(非イオン系)を含む陰イオン系洗剤溶液を用いて行い、アンモニア化合物溶液を用いる漂白作業は行わない。

・クリーニングの仕上がり状態は、「記録」の提示において重要なポイントとなる。試験洗浄で顕著となった顔面部の涙を流したような条痕等、鑑賞者の〈戦災にまつわる感情移入〉を過度に励起する〈痛々しい〉要素は、作品本来の表現を逸脱するものとして除去する。これらを含め、炭化物の沈着をどの程度まで除去するか等について、慶應義塾アートセンターの担当者と協議しながら、クリーニングの限度を決定する。

・試験洗浄で判明したペイントの付着物(被災後の倉庫保管中に被ったと推定される)は除去する。

4.・作品は、地山部盤を下にして安定板に固定し、立てた状態で展示する。

・断裂している前方部を主部に接合する。底面の凹凸に密着する固定盤を複数のボルトで固定して、両部の強固な接合をはかる。ナットは、両部底面に複数個所を穿孔してエポキシ樹脂系充填剤を用いて接着するが、断裂個所破断面の接着は行わず、前方部と主部は分離できるようにしておく。これらで使用するボルト・ナット及び固定盤には、ステンレス製の材料を用いる。

  5.・立てた状態での作品の安定を図るために、鉄製の安定盤を固定盤にボルトで締結し、作品を固定する。

・安定盤は、錆色蝋引き仕上げの外装部(outer)と、バラストの機能を持つ安定盤(inner)で構成する。安定盤は、被災前の展示台の高さと仕様(図書館内装の腰板に合わせた木製外装)は採用せず、機能的な設計とする。これらの金具重量は、約200㎏を確保して全体の重心を下げることで耐震性を得るとともに、外装部の前後の側板を取り外せるようにしてハンドリフターでの移動を可能とする。また、安定盤を作業用補強金具・運搬用保護枠とボルト・ナットで締結し、作品の起立作業や運搬を行う。

 6.・三田キャンパス北館への輸送・搬入は、運搬用保護枠に作品を固定して立てた状態で行う。

 

●作品の状態

1.断裂について

 ・手掌部を残す大腿部から下腿部及び地山前部にかけての部分(前方部)は、人体主要部及びベンチ部を含む背景部盤(主部)から一つの破断面によって断裂している。

・火災の熱によりもともと石材に存在した石目に沿って破断したと見られ、異なる部材の接合面ではない。

2.欠失個所

・大きな欠失個所は、左右腕、壺の上部、断裂個所の地山部盤左側中間に存在する。

地山部盤下側の炭化物付着状態を見ると、三角の欠失個所側がとくに黒味が強く、こちらが火炎に多く曝されたことを推定できる。

・小さな欠失は、頭部の前髪・眉稜・鼻・唇等の突出部、断裂個所周縁に沿った部分に見られる。

・右腕の下部から指を除く手までの部分が別に保管されている。右前腕部母指伸筋の下から手掌部手根骨までの部分の手掌部破断面は本体側と合致している。今回の作業では接合されなかった。

・左腕の欠失は、上腕の三角筋部の下から手首(尺骨茎状突起は含んで橈骨茎状突起は含まず)まで。

・右腕の欠失は、上腕の三角筋部の下から前腕部母指伸筋の上まで。

・壺の欠失は、開口部周縁と把手2個所である。

3.表面の状態

・表面には、保管中に堆積した塵埃が多量に存在したが、作品自体から剥離脱落した石片や大理石表面の脆化による生成物はほとんど認められなかった。

石材表面は火災の影響を被っていても、概ね緻密で堅牢な状態を維持しており、顕著な脆化は認められなかった。背景部盤後・側面や地山部盤前・側・下面に見られるような鑿痕を残したラフな仕上げ個所、及び人体部に見られるようなヤスリ痕を残したデリケートな仕上げ個所のいずれも、概ね健全に作者の手の痕跡と製作当初以来の作品の外延を示している。

 地山部盤右側面鑿跡の一部に浮き上がりが認められる。

・作品表面には、全体的にスポット状の剥離痕が無数に見られる。その多くは火炎の熱によって石材表面が部分的にはぜて剥落したと推定される。とくに人体の頭部から上半身にかけて目立つ。

・炎が表面を舐めたことによると推定される炭化物の沈着が全体的に顕著であった。炭化物は地山部盤下面にも見られ、被災前までの木製台座も火を被ったことが判る。

・試験洗浄の後に、顔面部・上半身胴体部・下半身前面部・地山等に、水の流れ後に沿って形成された条痕・流水痕が顕著となった。とくに顔面部の条痕は、涙を流しているように見えて、鑑賞者に特別な感情移入を引き起こすものであると判断された。

  また、それまで不鮮明であった以下の汚損が判明した。

  炭化した木材が擦れて付いたと推定される黒色の汚れが、頭頂部・肩・大腿部・地山等の上面に、被災時に付着したと推定される茶色味を帯びたスポット状の汚損が、背景部右側・頭頂部等に存在していた。

  保管中に付着したと推定される数種類の付着物が存在している。赤いペイントが右肩に存在していた。厚みのある白色の樹脂とそれを覆う黒色の塗料が、藁くずを固着して背景部右草上に存在していた。

・作品は倉庫での保管中は、前方部の前下腿部に藁のコモをかけた上を針金で主部に巻いて固定されていた。この針金が擦れたことによる損傷が前下腿部正面と背景部盤両側面に存在している。

・第1次クリーニングの後、頚部後方に束ねた髪をまたいで両肩に渡る亀裂の存在が判明した。この亀裂は頭部の荷重を支持する個所に位置する。作品の起立後のスタンスにおいては、衝撃や振動で拡大し、あるいは新たな断裂を発生させて、重大な損傷に至る可能性があり要注意である。

 

●作業内容

1.第1次クリーニング作業①

・第1次クリーニング作業①・②は 平成18年2月11日の作業方針打ち合わせにより、「あえて作品の表面の洗浄を徹底せずある程度現状を維持したままにする。」という基本方針をふまえ、作業を開始した。

  • 試験洗浄  

・乾式クリーニング作業/各種刷毛によるクリーニング

・精製水を用いた含水綿棒による拭き取り

・界面活性剤(ToritonX注)含有洗浄剤50倍希釈溶液を含ませた綿棒による拭き取り

・含水ガーゼによる湿布式汚れ吸着

(これらの初期試験はブロンズスタジオに経過写真記録として保存。)

 (2) 精製水を用いた、含水ガーゼによる湿布式汚れ吸着作業・綿棒による拭き取り作業

 (3) 黒色塗料付着(背景部)(写真61)除去作業

・この黒色塗料は燃焼跡のような状態とともにあり、白色の付着物(材質不明)及び数本の藁が密着していた。

・界面活性剤(ToritonX)含有洗浄剤50倍希釈溶液を綿棒に含ませ塗料付着部分に塗布し、数分経過後ガーゼで拭き取り、精製水で部分洗浄する作業を繰り返す。

注)ToritonX(オクチルフェノールに酸化エチレンを付加した非イオン系界面活性剤/ダウケミカル社製)

・洗浄剤での除去作業は、効果に限度があり、溶剤での除去テストを行う

1.エタノール 2.リグロイン 3.アセトン 4.トルエン 

これらの溶剤のなかで、トルエンのみ比較的効果がみられたが、完全な除去には至らなかった。

・この黒色塗料付着部分の除去程度は事前に(平成18年2月11日の作業方針打ち合わせ)確認されていることだが、鑑賞上の阻害をおこす著しい汚損であると各者一致し、展示に耐えうる、できるかぎりの除去を要請された。

・以上のような経過から、この部分に対しては剥離剤を用いることとした。剥離剤は各種の製品中、大理石のPH値約7~8という弱アルカリ性の性質に比較的害をあたえないPH値10.9の、塩化メチレン(ジクロロメタン)を含有した剥離剤リムーバー#2((株)ソーラー社製)を使用し、剥離後の漂白作用に至ることを極力抑えるために、剥離確認後の精製水拭きあげを徹底した。

・僅かに残った黒いシミは表面マチエールの谷間に沈着しているため、極細のニードルと硬い油彩画用筆を用いて、これらを除去した。

・最後の作業として、再度洗浄剤と精製水でクリーニングを行った。

 

2.金具装着・作品起立作業

(1) 前方部取り外し・破断面調整

・前方部を主部から取り外し、それぞれの破断面を調整し、浮き上がった微細破片を除去した後、再接合した。

(2)固定盤装着・前方部-主部固定接合

・主部と前方部の下面に、それぞれ5個所と6個所のボルト穴を穿孔し、長さ50ミリ14Mのナット(SUS304)をエポキシ樹脂で固定した。

・ステンレス鋼製(SUS304)固定盤を作成した。上面にエポキシ樹脂を塗布して下面の凹凸を型取りして作品との密着性を強化した上で、固定盤をボルト(SUS304)で作品に締結した。

・固定盤だけで主部と前方部の接合を行った。これによりほぼ完全な接合が得られたため、当初予定した背景部盤を貫通する長ボルトで前方部に設けたナットを締結して両パーツを接合する方法は取らなかった。

 (3) 補強金具装着・作品起立作業

・固定盤に補強金具を固定し、重機を用いて作品を立て起こした。これにより、被災以来背面を下にして立てられることがなかった作品は、60年を経て本来の姿勢を復元した。

 (4) 安定盤(inner)装着

・重機と治具を用いて作品を吊り上げ、安定盤を固定盤(普通鋼)にボルトで締結した。固定盤の重量約30㎏、安定盤の重量は約160㎏である。これらをバラストとして作品の安定を図った。

・以後のクリーニング作業は、安定盤に作品が固定された状態で行われた。

 (5) 安定盤外装(outer)装着

・安定盤に外装を装着した。外装盤重量は60㎏である。

・装着状態が確認された後、外装は取り外され表面に錆付けと蝋引きが施された。

 

3.第1次クリーニング作業②

・作品が寝た状態から、治具取り付けを終え、起立状態となったことから、精製水洗浄が主作業だった作業①から、作品全体の色調を把握しながらの調整洗浄の段階となった。

・この作業では主に前述した非イオン系界面活性剤(ToritonX)含有洗浄剤50倍希釈溶液を用い、補助的に非イオン系界面活性剤(ポリオキシエチレンアルキルエーテル)含有洗浄剤50倍希釈溶液を用いた。

 (1) 頭部・肩のクリーニングを主とした洗浄作業

・洗浄剤希釈溶液を含ませた綿棒による拭き取り

・精製水を用いた含水綿棒による拭き取り

 (2) 背景部盤に点状付着した、焦げたような跡の除去作業

・極細ニードルを使用し一点ごとの除去を繰り返す。

 

4.第2次クリーニング作業

・第2次クリーニング作業は衣の部分の左右に広がった黒色シミの除去、地山上面・側面の黒色シミ除去、壺(特に縁の部分)の再度のクリーニング作業を行うこととなった(2006年10月18日、慶應義塾アート・センター前田富士男、渡部葉子両氏との検査・検討を踏まえている)。

・第2次クリーニング作業は、第1次での作業を幾度繰り返しても効果は上がらないことを作業上確認できていたことから、化学的除去・クリーニングからブラッシングを主としたクリーニングに切り替え、助剤として洗浄剤を用いる方法をとった。

・焼夷弾による物と思われる油煙の付着は、大理石組織と長年の間に化合しており、非常に頑固な汚れとなっており、水の流れ跡とともに、奇妙な縞模様を形成しており、先の作業で比較的整った色調となった上半身や背景と比べ視覚的にも破綻している。

・今後の作業は、マチエールをくずさず、明度差を主としたバルールの統一を考慮しながらの作業となり、ブラシの選定やクリーニングの程度を常に検討しながらのこととなる。

(1)ブラッシング、洗浄剤でのクリーニング

・ブラッシングには、ペンシル型及び歯ブラシ型の極細真鍮ブラシを始めペンシル型ナイロンブラシなど各種揃え、部所に応じた使い分けをし、洗浄剤を含ませた上で使用した。

・洗浄剤は非イオン系界面活性剤5%(ポリオキシエチレンアルキルエーテル)含有洗浄剤30倍希釈溶液を使用した。

 (2) 精製水洗浄   

・精製水洗浄は1エリア(7~8㎝四方)のクリーニング作業の都度複数回行い、洗浄剤残留や汚れを徹底除去した。

・このクリーニング作業中、頭髪部後頭部を中心に、首筋まである亀裂が新たに判明した。幸い全周亀裂ではないが、移動などの際に一層の注意が必要であることを附記する。

 

5.保護枠装着・運搬作業

・運搬用保護枠を装着し、作品を三田キャンパス北館地下倉庫へ搬入した。

・クリーニング作業でそれまで知られていなかった頚部後方の亀裂が判明したため、輸送にはエアーサスペションの平ボディートラックを使用した。

 

●作業結果

・作品は起立して本来の姿勢を復元した。安定盤の装着により、耐震性が向上するとともに、ハンドリフターで容易に移動することが可能となった。

・人々の鑑賞に適するよう、炭化物の沈着状態が作品全体のバランスをとって調整され、表面の黒味が和らいだ。

・人体部の顕著な汚損個所は、水の流れ後に沿って形成された条痕・流水痕とともに調整された。顔面部の涙に見える条痕はほとんど目立たなくなった。

・背景部では、被災時に付着したと推定される茶色味を帯びたスポット状の汚損、及び被災後の保管中に被った汚損を概ね除去した。これらの個所は周囲よりクリーニングの度合いが強くなったが、調色を施すことを避けたため白味が強い部分となった。

 

*作業期間 2005(平成17)年10月19日~2007(平成19)年3年13日

(調査開始2000年(平成12年)7月)

*作業者   黒川弘毅、高橋裕二

          石材加工担当:大野春男(有限会社石歩)、金属加工担当:山崎哲朗(鉄山工房)

 

日付

2005(平成17)年10月19日~2007(平成19)年3月13日