慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

舞踏セッション The Return:365日の魂へ

舞踏が追求するものは、3・11 以後も変わらない。
とはいえ、人間がコントロールできない事態をどうするかという問いは残されたままである。
舞踏家の内面と舞踏の場との接点では事態がゆらめく。孤立した二つの舞踏の身体によるセッション、それが舞踏の場にゆらぐ魂をシンクロさせる。
自然に抗う人間の存在を問うラジカルな舞踏。

日時

2012年6月13日[水]18:30 開演[17:45 開場]

場所

日吉キャンパス 来往舎イベントテラス

対象

お問い合わせ

慶應義塾大学アート・センター

〒108‒8345 東京都港区三田2‒15‒45 TEL:03‒5427‒1621 FAX:03‒5427‒1620

公演[新入生歓迎行事]

日時

2012年6月13日[水]18:30 開演[17:45 開場]

場所

慶應義塾大学 日吉キャンパス 来往舎イベントテラス
横浜市港北区日吉4-1-1 東急東横線・横浜市営地下鉄グリーンライン 日吉駅下車

対象

登壇者/出演者

出演:岩名雅記|長岡ゆり

岩名雅記
1945年東京に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業後、TBS に入社。2年後退社。演劇活動を始める。70 年土方巽が特別出演した「骨餓身峠死人葛」に出演。その後、舞台のほか声優としても活躍。75 年にダンスを始める。「岩名雅記ダンスパフォーマンス」を開始。77 年初リサイタル〈Dancing Boy〉を発表。79年より「全裸・不動・垂立」の実験的ソロ・パフォーマンスを展開。 80年、81年に「インヴィブル」(見えざる)シリーズ。83 年土方巽演出・振付〈planB 寺模写〉に出演。同年シャルトレ―ズ国際演劇祭に招待され〈蓮の国〉発表。85年〈生成〉発表。稽古場「白踏館」をつくる。自らのダンスを「舞踏」と呼ぶ。1988 年渡仏。舞踏研究所“La Maison du Buto Blanc”を開設。その後、南ノルマンディーにアトリエと自宅を設け、ここを拠点に全ヨーロッパで舞踏活動を行っている。主な舞踏作品に〈すさび〉(1989)、〈水引に胡蝶〉(1992)、〈式子内親王伝〉(1996)、〈ヨカナーン・虚無の強度〉(1998)、〈絢爛〉(2002)、〈棄景〉(2007)など。 劇映画監督作品に「朱霊たち」(2006)、「夏の家族」(2010)、現在「うらぎり姫」を製作中。「朱霊たち」はポルトベロ国際映画祭最優秀映画賞を受賞。著書(舞踏論集)に『装束は水』『虚無の強度』(日本語・英語)。
長岡ゆり
東京に生まれる。10 歳でクラシックバレエを始め、12 歳で平岡志賀舞踊学園でモダンバレエを学ぶ。10 代後半に舞踏に出会う。早稲田大学で舞踏集団アポカリプスの会を結成。その後は、舞塾のワークショップなどに参加しつつソロ活動を展開。1994年〈虚空人形〉シリーズ開始。95年〈星の首〉。白州フェスティバルに招待参加。98 年韓日ダンスフェスティバルに参加。東欧舞踏ツアーでブダペスト、ワルシャワ、ヴロツラフなどで公演。99 年には国際ワークショップ舞踏公演でドイツで公演とワークショップ。2000 年にはアメリカツアー。01 年から03 年にかけてメキシコで公演とワークショップ、メキシコ人振付家とダンサーとのコラボレーション。03 年正朔とのデュオ作品〈桜の森の満開の下〉を発表。04 年岩名雅記監督作品「朱霊たち」出演。同年舞踏カンパニーDance Medium を設立。その後はDance Medium として公演活動をさかんに行う。 11 年デュッセルドルフ舞踏フェスティバルに参加。同年〈帰ル〉上演、舞踊批評家協会賞を受賞。 12 年にはソロ作品「臥待月」を発表。現在、正朔と共同で舞踏ワークショップ(定期)を開催。

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〒108‒8345 東京都港区三田2‒15‒45 TEL:03‒5427‒1621 FAX:03‒5427‒1620

主催・共催など

主催:慶應義塾大学アート・センター|慶應義塾大学日吉教養センター日吉行事委員会(HAPP)

企画:森下隆(アート・センター)、制作:小菅隼人(日吉行事委員会)、運営:慶應義塾大学アート・センター(真下裕子、小泉雅美)

協力:曽我傑(照明・音響)|Dance Medium|白踏館|慶應義塾大学デジタルメディア・コンテンツ研究センター|NPO 法人舞踏創造資源