慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

KUAC Cinematheque 4: 状況劇場「蛇姫様」上映会—単独性と反復または記録についてII

「鏡です。(と、パチンコ屋のそれを持ち)何かの本で読みました。蛇の化け物、すなわち、ドラゴンを退治するためには鏡を持ってゆかなければならないと。何故ならば、その顔をマトモに見ることが出来ないからです。」
唐十郎「蛇姫様」『唐十郎全作品集 第六巻 戯曲VI』冬樹社、1979年、47頁。
「われわれはバックミラーごしに現在を見ている。われわれは未来にむかって、後ろ向きに行進している。[We look at the present through a rear-view mirror. We march backwards into the future.]」
マーシャル・マクルーハン、クエンティン・フィオーレ『メディアはマッサージである:影響の目録(河出文庫)』門林岳史訳、河出書房新社、2015年、75-76頁。

 

1977年6月17日、青山墓地下在日米軍キャンプ前(青山公園)にて状況劇場による「蛇姫様」の上演の様子をVICは記録した。
「蛇姫様」は福岡県田川市の旧糒炭鉱のボタ山に張られた紅テントで初日を迎えた。この日は「百鬼祭」と称され、公演に先立って五木寛之、赤塚不二夫、若松孝二、平岡正明、朝倉摂らがスピーチをし、三上寛が歌った。春雷がとどろき、強風をともなう豪雨が降り続く悪天候だったが、全国から一度に入り切らない観客が集い、急遽、午後十一時からもう一度公演が行われた。五木は次のように語っている。「その赤テントは[…]ボタ山の中腹に赤い傷口が現れたような感じだった。[…]傘の列はボタ山のふもとを蛇行して、延々と中腹の赤テントまで続いている。」(『深夜草紙』第百二十二回『週刊朝日』一九七七年五月六日号。唐十郎『唐十郎全作品集 第六巻 戯曲VI』冬樹社、1979年、341–342頁より孫引き。)。観客までが蛇行する大きな蛇となって開始された公演は、日本を蛇行するように6都市目の東京へ辿り着く。それは寄る辺なき自らの思考の過程を省みようと足掻く唐自身の姿にも重なって見える。
「蛇姫様」は帰化すべき故郷への想いと帰化すべき故郷などどこにもないことへの冷めた認識の間でのた打ち回る絶望的なノスタルジアへと人々を駆り立てる装置となる。紅テントは、装置に巻き込まれて現れる海峡を漂う船へと、そして思考する鏡へと生成する。

 

■ 本上映会に用いる記録ビデオ・テープ:
VIC_0331:「1977/6/17 蛇姫様 唐十郎 作・演出」
VIC_0333:「1977/6/17 蛇姫様 状況劇場 唐十郎 作・演出 ②」
VIC_0335:「1977/6/17 蛇姫様 ③ 唐十郎 作・演出 状況劇場」

*一部オリジナルのテープにおいて記録されていない部分があり、乱れもありますことをご了承ください。

 

チラシ:ダウンロード

Date

2026年1月17日(土)13時–17時30分(12時45分開場)

Venue

VICアンダーグラウンド劇場
(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-33-10 丸二ビル地下1階)

Audience

Everyone welcome

Cost

Free participation

Enquiries and bookings

慶應義塾大学アート・センター
〒108-8345 東京都港区三田2-15-45
TEL 03-5427-1621

Screening | Discussion[KUAC Cinematheque]

Date

2026年1月17日(土)13時–17時30分(12時45分開場)

Venue

VICアンダーグラウンド劇場
(東京都武蔵野市吉祥寺本町1-33-10 丸二ビル地下1階)
 

Audience

Everyone welcome

Cost

Free participation

Lecturer/Performer

新井静、手塚一郎、久保井研、久保仁志

Timetable

12:45|開場
13:00–15:30|「蛇姫様」の上映(150分)
15:40–16:00|手塚一郎×久保仁志によるトークセッション
16:10–17:30|新井静×手塚一郎×久保井研×久保仁志によるディスカッション

Enquiries and bookings

慶應義塾大学アート・センター
〒108-8345 東京都港区三田2-15-45
TEL 03-5427-1621

Organiser(s)

主催:ビデオインフォメーションセンター、慶應義塾大学アート・センター
協力:令和7年度 文化庁メディア芸術アーカイブ推進支援事業「1970年代以降のパフォーマンスおよび展覧会のビデオ記録のデジタル化・レコード化III」


「蛇姫様 我が心の奈蛇」1977年6月17日|青山墓地下在日米軍キャンプ前[青山公園]
青緑に光る蛇の鱗のようなあざのあるてんかん持ちのあけびは、上京した矢先に、死んだ母親シノの日記をスられてしまい、日記をスリ返すために駆け出しのスリ師となった。日記をスった犯人小林と出会ったあけびは、肩のあざを見た小林に「蛇姫様」と呼ばれて気を良くし、母に聞かされた「白菊谷」のおとぎ話を共有したことで、2人は強く結びつく。
しかし、白菊谷の空想はシノの壮絶な現実に由来するものであった。シノは朝鮮戦争時の死体運搬船「白菊丸」で日本に来た密航者であり、あけびは密航者の男たちにシノが犯されたときにできた子であったのだ。あけびは自身の凄惨な出自を否定し、降霊術で此岸に戻ったシノに蛇姫をやめて日本に帰化するよう言い聞かされるも、ただのてんかん女になることを恐れ、蛇姫としての生に縋り付く。過酷な出自と帰化問題、アイデンティティをめぐって葛藤するあけびは、楽しい空想と厳しい現実に折り合いをつけながら、自分自身が何者であり、どこへ帰るべきかを定めようともがいていく。
小林があけびに投げかけた「一体全体僕らがどこへ帰れるというのでしょうか」という疑問は、帰れる場所などなく、持つ必要もないことを反語的に意味している。しかし、結末であけびが蛇姫様としてのアイデンティティを確立して拠り所を得たように、帰れる場所がなくとも自らの意思でそれを探し、掴み取ることが重要だというメッセージを物語全体から読み取ることができる。副題の奈蛇はおそらくアンドレ・ブルトンの『ナジャ』に由来する。(髙原純令)

 

「VIC(ビデオインフォメーションセンター)」
1972年、VICは国際基督教大学(ICU)の演劇サークルであるICU小劇場を母胎として活動を始めた。手塚一郎が作成したガリ版刷りの設立主旨書には、その設立動機と活動の目的が簡潔に語られている。ICUにおいて、学生同士の交流が少ないという問題があること。そして、その問題を解決するために、ビデオを用いて「(映像・音響を含めて)より全体的に、かつ正確迅速な情報交換―究極にはコミュニケーション―を実現する」(「VIDEO-INFORMATION CENTE[R] 設立主旨書」、1972年 )ことである。こうして成立したVICは、以後大学サークルの範囲を超えて、様々な活動を展開することになるが、その活動は、「ハイ&ローを問わない網羅的なイベントの記録」「ビデオ・テクノロジーを用いたコミュニケーションの実験」「ビデオ関連イベントの企画」「国内外の芸術グループとのコミュニケーション」「ビデオの普及活動」の大きく5つに分類することができる。
具体的には 、ICUの学生食堂における放送から始まり、「ソフトミュージアム」構想、ダンス・演劇・展覧会・シンポジウム・ママさんバレー・コンサートなど多様なイベントの網羅的なビデオ記録、三鷹のアパートでのCATV実験である《Cable Paravision Ten》などを行った。その中心にあったのは、コミュニケーションとは何か、いかにそれは可能なのかという問いである。VICの状況劇場の記録ビデオはおよそ20件の演目に及んでいる。