慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

伝ハイネ《ペリー提督黒船陸戦隊訓練の図(1854年)》の修復、科学分析調査

 本作品は長らくメディア・センターの所管下にありながらその存在を知られることが希であった一群の美術品・資料類のうちの1点である。2013年秋に図書館旧館に保管されてきた絵画等の調査をメディア・センターの呼びかけの下、管財部、福澤研究センター、アート・センターで行い、美術品相当と考えられる作品等について保存活用を促すべく修復活用の検討がなされた。但し、この調査の対象作品はいずれも埃等の面からかなり劣悪な保存状態となっており、活用のためには保存修復処置が必要であった。本作品は、特に埃汚れや黴の付着が著しく、アート・センターを通じて専門家に依頼し、修復保存処置を施した。



保存修復作業記録

2017年3月25日 修復研究所21・渡邉郁夫/担当者 田中智惠子 

作品

作者=伝ウィリアム・ハイネ
作品=ペリー提督黒船陸戦隊訓練の図(1854年)
制作年=不詳
材質・技法=油絵具、カンヴァス
寸法=545.0×818.0×22.0mm(厚み)

作品概要

 本作品は、『ペリー提督日本遠征画集』に掲載された版画(参考図版)と図様がほぼ一致する油彩画であり、サイン等は確認出来ないが、作者は、ペリー艦隊の随行画家であるウィリアム・ハイネと考えられる。ハイネは、ドイツのドレスデン近郊に生まれ王立芸術学院で絵画を学んだドイツ人である。宮廷劇場の舞台装置画家となるが、ドイツ蜂起の革命側芸術家として参加し、敗北、アメリカへ亡命したハイネは、ペリー艦隊随行画家となり、遠征先の風景を描きとめた。帰国後、その絵をもとに版画が制作され『ペリー艦隊日本遠征記』に掲載されたが、現地で多数描かれた水彩画のうち「首里城訪問からの帰艦」「ルビコン川を渡る」「久里浜上陸」「横浜上陸」「下田上陸」「下田了仙寺境内における軍事演習」の6点は帰国後の1855年に、政府の許可を得て、石版画集『ペリー提督日本遠征画集』として出版され人気を博した。現在は、6点がそろった完本は希少となっており、米国のワシントン海軍博物館やブラウン大学図書館等にリトグラフが所蔵されている。原画の水彩画のうち5点はアメリカの個人蔵(『ハイネの水彩画:マシュー・C.ペリー提督日本遠征1852~1855』アメリカ大使館公邸展示図録、1970年に掲載)になっていたが、現在4点は明星大学図書館が所蔵している。
  ペリー日本来航に関わる油彩画の作品は、本図に加えて、横浜美術館所蔵の「ペリー提督横浜上陸之図」、個人蔵の「ペリー下田上陸図」(「写真渡来のころ」展図録、東京都写真美術館・函館美術館編、1997年に掲載)の全4点が確認出来るが、今後「ルビコン川を渡る」「久里浜上陸」が見出される可能性がある。これらはどれもサイン等がないために伝ハイネ作とされ、一連の水彩画やリトグラフとの関係性は解明されていない。これらの解明には、ハイネの作品を比較検討し、その全体像をとらえる必要がある。今回は修復に加えて、関連作品との比較検討材料とするため、科学分析調査を実施した。地塗り、絵具層の分析からは、19世紀校半の特徴が確認され、赤外線撮影では、下書きの様子を捉えることが出来た。これらの結果が、今後の研究の手がかりとなることを期待したい。[文献]「ペリー来航と横浜」横浜開港資料館、2004年。


【作業前の状態・表面の状態】

・ワニス層:なし
・絵具層:色調や描かれているものが見えづらい程、全体に塵埃が付着している。四辺に数箇所擦れや引っ掻きなど外的な要因で剥落した損傷があるのみで、全体の絵具の固着は良好である。環境に応じた画布の動きに伴って自然に生じた細かな亀裂が全体に見られる。下描きの鉛筆の線が目視で確認できる部分が多くある。
・地塗り層:白色。固着は良好。
・画布:損傷は無く、張りの状態は良い。目立たない程度の僅かな張りムラが上辺左右の角にある。左右辺に木枠あたりが見られる。側面部の画布は木枠の厚みに合わせて裁たれている。
・木枠:強度あり。中桟なし。角の留め接ぎ部分に僅かなねじれが見られる程度である。裏面側より、右片下部に長さ10センチ程の割れがある。1箇所、楔が紛失している。
・釘:錆が生じている。周囲に張り直しの痕跡は見られない。

【作業後の所見】

1.写真撮影:修復前の作品の状態をデジタルカメラで撮影記録した。
2.調査:修復前の作品の状態を調査書に記録した。
3.修復方針の検討:作品の調査を行った後、必要な処置・使用する材料を検討した。見積の段階では、木枠と画布との間に挟まった物質による凹凸変形や側面部の釘に錆の発生が見られたため張り直しを予定していた。しかし、画布の張りの状態が良好であり、以前に処置を行った痕跡も無く、釘や側面部の状態も当時のまま保たれているため、今回の処置では張り直しはせず、釘の錆に対する処置のみに留め、現状を維持することとした。
4.裏面、木枠清掃・殺菌:裏面に付着・堆積していた砂埃等を電気クリーナーで吸引した後、殺菌を兼ね、エタノール水を含ませたウエスで画布裏面・木枠の汚れを拭って清掃した。
5.木枠破損部接着:木枠が割れている部分に膠水を注射器で注し入れた後、クランプで押さえ、圧着した。
6.画面洗浄:(乾式洗浄)ケミカルスポンジを用いて表面に付着した汚れを除去した。(湿式洗浄)精製水を含ませた綿棒で全体を洗浄した後、希アンモニア水溶液を用いた洗浄を行った。全体の汚れが著しかったため、汚れの取れ具合と絵具への影響がないか様子を観察しながら洗浄液の濃度を調整し、数回に分けて洗浄を行った。濃い虫糞付着部分は完全には除去できなかった。
7.充填整形:絵具層が剥落し欠損している箇所に、ボローニャ石膏と膠水を練り合わせた充填剤を詰め、周囲のマチエールと合うように塑形した。
8.釘へのパラロイドB72塗布:側面部の釘の頭に、錆の進行を抑えるためパラロイドB72(20%)キシレン溶液を浸透させた。
9.TBZ防黴・殺菌ワニス塗布:防黴・殺菌としてTBZ(チアベンタゾール)を溶解したダンマルワニスを塗布した。
10.補彩:充填箇所・しみが除去できなかった部分・擦傷等に修復用アクリル樹脂絵具を使用し、補彩を施した。
11.画面保護ワニス塗布:画面の艶の調整にダンマルワニス(10%)をエアコンプレッサーで噴霧した。
12.楔新調(1箇所):オリジナルのくさびが1個紛失していたため、同型のくさびを新調した。
13.写真撮影(修復後・IR):修復後の作品の状態をデジタルカメラで撮影記録した。また、赤外線撮影を行い、下描きの様子を観察・撮影した。
14.額装:新調した額縁に作品を額装した。
15.報告書作成:撮影記録と共に報告書を作成した。


【修復後の所見】 


修復前は汚れが付着していたこともあり、艶や色調が感じられず、斑状のしみが広範囲に見られ、絵具層の状態が心配された。しかし、耐容剤テストや実際の作業において、絵具の堅牢さが確認でき、洗浄によってほとんどの汚れが除去できた。また、汚れが除去されていくと、油絵具特有の艶も感じられる画面が現れてきた。年代は特定していないが、現代の油彩画と比較して、技法や材料の使い方に対する知識や技量の深さを感じる作品であった。



【試料片調査記録】

2017年3月25日
修復研究所21研究員・宮田順一 
試料片を得て材料検査を行った。試料片は作品の周辺部分、及び剥落部分より得た。 調査方法は、試料片のクロスセクションを作成して光学顕微鏡で観察した後、X線マイクロアナライザー(EPMA)にて観察し、元素を確認する一方、微小部X線回折装置(MDG)により、試料片を測定して化合物を確認する方法によった。 
実験条件を以下に記す。
・EPMAは二機種を使用した。
 日本電子(株)社製JSM-5400(二次電子像と組成像観察用)及びJSM-6360にOxford社製エネルギー分散型スペクトルメータINCAx-sightを装着した装置 加速電圧:15kV
・MDGは二機種を使用した。
 理学電気(株)社製RINT2100にPSPC-MDG2000を装着した装置、及びRINTrapid (湾曲IPX線回折装置) 線種:CuKα 管電圧:40kV 管電流:30mA コリメータ:100μmφ 計数時間:約2000秒及び3000秒
・MDGによる測定は、試料片の表面にX線を照射して行なった。
・酸性フクシンの1%水溶液を使用して呈色を観察し、主に膠の存在も調べた。


【調査結果】

○地塗層 
鉛白と白亜を主成分顔料とする3層塗り(ペリー提督首里城より帰還の図(1853年))以下「帰還の図」とする)及び2層塗り(ペリー提督黒船陸戦隊訓練の図(1854年)以下「訓練の図」とする)で、上層ほど鉛白が多く、下層ほど白亜が多く混ぜられて塗布されている。このほかにバライトを少量成分として含有し、黒色顔料、酸化鉄系赤褐色顔料及び透明なケイ酸塩化合物も少量から微量成分として含有する。黒色顔料はアイボリーブラックが多い。 ワーグマンや高橋由一など、19世紀後半、明治期の油彩画作品でも観察例の多い地塗層である。

○絵具層 
赤色はバーミリオンが「訓練の図」で確認された。光学顕微鏡で観察すると、バーミリオンは粉砕した細かな粒の集合体の様相を呈して、いわゆる辰砂の細粒とも推定できる。 赤褐色顔料で注目された点はヒ素の含有である。鉄を主成分とする鉱物では、しばしばヒ素も小量成分として確認できる。酸化鉄系顔料でも同様の検出例は多い。橙色も酸化鉄系顔料であった。作品全体にこれら酸化鉄系顔料の使用が多く確認され、空、樹木など単一な色調による塗布より、少量の赤橙色や褐色を混ぜている部分が多い。黄色はクロムイエロー、「訓練の図」ではこれに加えてネイプルスイエローも確認できた。クロムイエローでは少量成分としてバライトも混ぜられている。 緑色は顔料の粒そのものは未確認で、淡い緑黄色あるいは濃い緑褐色として塗布層が観察できる。全体にクロムイエローの成分に加えて鉄、ケイ素、アルミニウムが検出され、さらに黒色顔料も混ぜられていた。前述した赤褐色顔料も混入する中で、検出元素は鉛が主成分元素となって、クロム、鉄は少量成分から微量成分で判断に迷ったが、クロムグリーンとテルベルト(緑土)を推定した。「帰還の図」の右端遠景部分(試料片C)では褐色の最上層の下に、緑黄色の層が確認されて、この層では、クロムイエローと後述するコバルトブルーが使用されている。黄色と青色を混ぜて緑色として塗布した可能性がある。なおクロムグリーンはクロムイエローとプルシャンブルーの混合で作られ主成分元素は鉛、クロム、鉄、アルミニウムである。 青色はコバルトブルーで主に空の色調に使用されている。少量のプルシャンブルーの使用も推定したが、前述した酸化鉄系顔料が少量成分として混ぜられているため、鉄の僅かな検出はこの酸化鉄系顔料によるものと判断した。 黒色はアイボリーブラックで濃い色調の部分で多く使用されている。白色は空では鉛白のみであったが、樹木や背景の山の淡い色調部分で炭酸カルシウムも検出確認された。一般に、炭酸カルシウムは油性で使用すれば半透明を呈するため、単独で使用される例は少ない。「帰還の図」の遠景付近にも相当する試料片Cでは最上層の褐色層に多く使用されて、さらにその上層の白では鉛白と共に主成分顔料となっている。淡い褐色を構成すべく、比較的、白色の主張が弱い炭酸カルシウムを混ぜた可能性がある。なお地塗層の主成分の白亜も炭酸カルシウムであるが、微化石を確認できた場合は、顔料名は白亜となる。絵具層ではこの微化石までは確認できず、炭酸カルシウムとした。 総じて二つの作品は、地塗層も含めて明治前半期、19世紀後半の油彩画に共通した特徴を材料面からも確認できる。地塗層に比べれば、比較的薄く塗布された絵具層、さらに鉛白が多用されているためか、堅牢な層が構成されている。

○X線写真の観察
 絵画のX線透過写真では、白黒画像の形成理由は主に二つある。
1;作品に使用された顔料を構成する化合物に差があること 白色顔料を例とすれば、鉛白は鉛を主成分として、原子番号の高い元素を持つ。 白亜はカルシウムを主成分として、原子番号の低い元素を持つ。X線透過写真では鉛白のような原子番号の高い元素からなる顔料は、X線遮蔽効果(吸収効果)が強く働いて、全体に白く現れる。逆に白亜のような顔料は暗く現れる。両者が適当に使用されていれば、画像が良好に観察できることになる。
2;作品に塗布された絵具層等に厚みの差があること 上記の白亜を例とすれば、この顔料のみが、作品の主成分顔料であっても、塗布層に、厚みの差があると、これも画像を形成する要因となる。厚い部分はX線遮蔽効果が、強く働いて画像上に白く現れる。逆に薄い部分は暗く現れる。コントラストは低いが十分に観察可能な像を形成して、主に筆触の跡などが、観察可能である。 以上のほかには、キャンバスの布など、支持体部分の裏面や内部に塵などが存在すればこれらも画像形成に寄与して、白い点が現れ、さらに生地の状態も画像に現れる。 これらを元に今回の撮影結果を観察すると、全体に絵具層は薄く塗布されているため、画像のコントラストは低い。木枠の節など木材密度の高い部分がX線遮蔽効果が高く、明るく観察できる。通常の撮影は医療用発生器を使用するが、今回は軟X線発生器も使用して撮影を行った。商品名Softexで比較的波長の長いX線が照射できる。従来フィルム撮影時は標準使用されていた機種である。これで撮影した結果も全体に低いコントラストであるが、通常型に比較すれば、鉛白が多く使用された部分は明るく現れて、特に雲の筆触や人物輪郭などがより良く観察できる。使用された絵具の成分を反映した結果を示している。
[*紙面の都合上、試料片の採取箇所、検出成分表、クロスセクションの光学顕微鏡写真、X線写真は、ここでは割愛する。調査報告書は、アート・センターのアーカイヴ資料として保管し、申請があれば閲覧に応じている。]

写真は左から
写真1:下田全図(修復後・挿図)
写真2:下田(修復前)
写真3:下田(洗浄途中・湿式洗浄)
写真4:下田木割り取り外し後(修復前)
写真5:下田(パラロイドB72溶液の塗布)
写真6:下田木枠破損部分
写真7:下田裏面(修復後)
写真8:下田雲部分(赤外線撮影)
写真9:下田人物部分(赤外線撮影)

日付

2016年7月~2017年3月