慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

Hijikata Tatsumi + Nakanishi Natsuyuki The Back

土方巽は背面ダンスを舞踏の始まりにおいた。〈種子〉として表現された身体は、晩年の衰弱体に至る舞踏の身体思想の始まりを告げている。埴谷雄高をして「胎内瞑想」と呼ばしめた〈種子〉の表現は、人の生の原初のスタイルにほかならない。

背面は視覚的には豊かでないかもしれないが、強靭な意思を表徴している。それは、社会への反抗の姿勢であり、社会からの防御の姿勢でもある。背面は、古川端のドヤ街での日々をはじめ、20代の土方巽の体験なくしては考えることはできない。

Date

Monday 14 May - Friday 15 June, 2012 10am-5pm

Venue

慶應義塾大学アート・スペース

Audience

Enquiries and bookings

慶應義塾大学アート・センター

108-8345 東京都港区三田2-15-45

TEL. 03-5427-1621 FAX. 03-5427-1620

Exhibition[Introduction to Archives]

Date

Monday 14 May - Friday 15 June, 2012 10am-5pm

Venue

慶應義塾大学アート・スペース

〒108-8345 東京都港区三田2-15-45 慶應義塾大学南別館1F [JR田町駅、地下鉄三田駅より徒歩約8分] )

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慶應義塾大学アート・センター

108-8345 東京都港区三田2-15-45

TEL. 03-5427-1621 FAX. 03-5427-1620

Organiser(s)

主催:慶應義塾大学アート・スペース|慶應義塾大学アート・センター

協力:細江英公、NPO法人舞踏創造資源


土方巽の「背面」

舞踏の最初の作品は、土方巽が1959年5月に発表した〈禁色〉とされている。

しかし、〈禁色〉に先立つ数年前に土方巽はすでに「舞踏」を発見し、その後、蛇行しながらも「舞踏」創造のプロセスをたどっていた。〈禁色〉はそのプロセスの一つの収斂である。

さらに、〈禁色〉以後、数年の間に「舞踏」のアーキタイプが成立する。その一つの身体のスタイル、実存性と社会性を色濃く見せているスタイルが「背面」である。

土方巽は背面ダンスを舞踏の始まりにおいた。〈種子〉として表現された身体は、晩年の衰弱体に至る舞踏の身体思想の始まりを告げている。埴谷雄高をして「胎内瞑想」と呼ばしめた〈種子〉の表現は、人の生の原初のスタイルにほかならない。

背面は視覚的には豊かでないかもしれないが、強靭な意思を表徴している。それは、社会への反抗の姿勢であり、社会からの防御の姿勢でもある。背面は、古川端のドヤ街での日々をはじめ、20代の土方巽の体験なくしては考えることはできない。

中西夏之の「背面」

1962年10月のアスベスト館におけるジョン・ケージとデヴィッド・チュードア歓迎の夕べに中西夏之は現れ、土方巽の背面に卵の中身を滑らせたという。

その中西夏之が土方巽の舞踏作品の舞台美術に本格的に関わったのが1965年11月の〈バラ色ダンス〉である。想像しがたいところだが、暗黒舞踏でありながら、この〈バラ色ダンス〉はその名のとおり、明るい作品であった。ピンクとみどりを基調色として作品を染め上げたのは、中西夏之のアーティストとしての感性である。

「バラ色ダンスも暗黒舞踊もなべて悪の体験の名のもとに血をふき上げねばならぬ」という土方巽のテーゼを中西は知らぬ気に「背面」を提示した。人も犬も背面を見せて舞台奥に並べられ、無機物のようにレイアウトされている。

中西夏之の「背面」は、そもそもハイレッド・センターが行ったシェルター計画の身体計測に始まる。したがって、実存性や社会性は捨象され、「科学」と「ビジネス」のはざまに生まれた諧謔であった。

この背面が、〈バラ色ダンス〉や〈形而情学〉といった舞踏の舞台を浸食したのである。