慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

「写真上の部屋」――ドキュメントを撮るということ 『プリーツ・マシーン』2 :関連トーク・イベント 

『プリーツ・マシーン』2 :中嶋興×松澤宥―写真上の部屋の
関連トーク・イベントを行います。

催事報告はこちら

Date

2019年5月24日(金)18:00-

Venue

Keio University Mita Campus, Noth Hall

Audience

Open to Anyone

Cost

Admission Free

Enquiries and bookings

Keio University Art Center (Shino)
2-15-45, Mita, Minato-ku, Tokyo, 108-8345 Tel: 03-5427-1621

Gallery talk | Exhibition[『プリーツ・マシーン』2 :中嶋興×松澤宥―写真上の部屋]

Date

2019年5月24日(金)18:00-

Venue

Keio University Mita Campus, Noth Hall

2-15-45, Mita, Minato-ku, Tokyo, 108-8345
https://www.keio.ac.jp/en/maps/mita.html

Audience

Open to Anyone

Cost

Admission Free

Booking

Bookings not required.

* If you would like to keep a seat, please contact us via email.

Lecturer/Performer

Directors: Risa Abe, Fumito Fujikawa, Keiko Okawa and Takahiro Niibe
Discussant: Hitoshi Kubo (Keio University Art Center)

Timetable

  • 13:30 - 13:35 Greetings

  • 13:35 - 13:50 Risa Abe "Toraya Bunko"

  • 13:50 - 14:20 Fumito Fujikawa "Shigeru Yokota Gallery"

  • 14:20 - 14:30 Beak

  • 14:30 - 15:20 Keiko Okawa "Sengakuji"

  • 15:20 - 15:50 Discussion

* Timetables are subject to change without notice.

Enquiries and bookings

Keio University Art Center (Shino)
2-15-45, Mita, Minato-ku, Tokyo, 108-8345 Tel: 03-5427-1621

Organiser(s)

Organiser: Cultural Narrative of a City project, Keio University Art Center
Supported by the Agency for Cultural Affairs, Government of Japan


(君がたとえば部屋にすわっているとき)、君は「視覚上の部屋」を問題にしているわけだ。
所有者のないものが、この「視覚上の部屋」なのである。そのなかを歩きまわることも、
それを見つめることも、それを指さすこともできないわけだから、
私はそれを所有することもできない。それは、ほかの誰のものにもならないわけだから、
私のものでもない。[…]視覚上の部屋は所有者をもつことができ[原文強調]ない。
「視覚上の部屋は内にも外にも主人がいないのだから」―と言えるかもしれない。
そこには1軒の家が[…]風景画を想像してもらいたい。想像上の風景である。
[…]だがその農夫は、その家のなかに、たとえば足を踏み入れることができない。
[…]いわば「視覚上の部屋」を発見したように見える人が―発見していたのは、
新しい話し方だった。新しい比喩だった。
新しい感覚だった、とも言えるかもしれない。

―ルートヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』丘沢静也訳、岩波書店、2013年、233-234頁。

中嶋興は1969年、松澤宥の「ψ(プサイ)の部屋」へ赴き、写真撮影を行った。
そのカットはおよそ1500枚に及ぶ。そこに映し出されているのは、
松澤が作品を制作し、配置している部屋(アトリエ)だけではなく、
風呂や居間などでのパフォーマンスも含まれている。
つまり、それらは単なる部屋の記録写真と呼ぶよりも、
二人が行ったセッションの記録だと言うことができる。
松澤の制作と日常の境界を突き崩しているように見える2日間の撮影において
どのようなことが起こっていたのだろうか。「写真上の部屋」とは端的に語るならば、
写真の中にしか存在しない部屋であるとともに、
私たちが写真を見るときに現れている部屋である。
1500枚の「ψ(プサイ)の部屋」は、一つの像へと収束しつつ、
同時に発散していくことになるだろう。
中嶋の記録撮影を約4年間にわたり行っている久山和宣を招き、
ドキュメントを撮るということについて考えたい。