慶應義塾大学アート・センター Keio University Art Center

【追悼】飯村隆彦氏のご逝去にあたり、土方アーカイヴの森下隆が哀悼の意を表します。

飯村隆彦さんを悼む

飯村隆彦さんにうかがいたいことがあり、ご自宅にお電話をしたのは初夏の頃だったか。電話に出られた家人から、飯村さんが入院されていることを知らされました。
 唐突でしたが、しばらく音信を聞いておらず、ご年齢からすればありうることと思いつつ、そのうち退院されたら、改めて連絡をすればという気持ちでした。
 訃報はもちろん突然でした。飯村さんは今年の猛暑の夏を乗り切れなかったのです。ご冥福をお祈りするばかりです。
 飯村さんの著書の出版を記念するパーティーはいつだったか、どこでだったかと思いめぐらしました。パーティーでお会いした吉増剛造さんの顔が、ちょうど近著を読み進めていたので浮かんできて、さらに新宿の会場でのパーティーの様子や淡々とした飯村さんの表情までも思い出しました。
 その出版パーティーの後に、飯村さんの高円寺のご自宅にうかがって、もろもろのことを話したのが最後でした。話題はいつもながら、飯村さんが土方巽の舞台を撮影して残された8ミリフィルムとそのフィルムを編集して作られた映像作品のことでした。また、ご夫人ともども、もうニューヨークに出かけることもないかということもお話しされていました。
 この映像をめぐっては因縁があります。8ミリフィルムは、飯村さんの手元とアスベスト館にあるのですが、どういうわけか、アスベスト館のフィルムの方が長尺でした。したがって、飯村さんが映像作品を編集するとなると、アスベスト館所蔵のフィルムを使うことになったものです。
 土方巽の舞踏作品のうち、最も前衛的な作品である「あんま」、それに大野一雄、大野慶人、石井満隆、笠井叡らが出演し、中西夏之、風倉匠、刀根康尚ら前衛芸術家が関わり不思議な舞踏作品となった「バラ色ダンス」が、飯村さんの映像作品となって残されています。 
 実は、この両作品の上映にあたっては著作権の問題が介在して、かつて飯村さんと私は2度にわたって「著作権協会」に出かけて相談したことがあります。相談事は膠着したままで、飯村さんは黄泉の国に去っていかれました。
 映像作品にも事情が重なり複数あります。もともと、音が入っていない無音のビデオがあり、土方巽が亡くなった後、アスベスト館で独自に音楽を加えたビデオがあり、そして飯村さんが音楽を加えたDVDがありというわけです。
 なにしろ、撮影時は飯村さんも舞台に上がり、ダンサーの一人となって撮影しています。「バラ色ダンス」の記録写真には、舞台中央で撮影している飯村さんの姿もとらえられています。今日では考えられないことですが、「舞踏」という呼称以前の実験的なダンスです。あるいは、美術でいうアンフォルメルにあたる、ダンスでもない「ハプニング」を土方巽が追求していた時代で、そこに飯村隆彦さんも参加していたということです。
 ある小さなスペースで飯村さんがご自分の映像作品を解説付きで公開する機会がありましたが、その折に小野洋子とジョン・レノンの映像をサプライズとしてプロジェクションされたこともありました。
 土方巽の関係者がまた一人鬼籍に入られました。土方巽アーカイヴには鬼籍簿が備えられているわけではありません。ただ、土方巽をめぐっての資料が変わらず棚に配置、保存されているだけです。

森下隆 2022.8


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